アラスカ オーロラ紀行1994

この紀行は今から30年程前となる1994年の出来事です。アラスカフェアバンクスで見事なオーロラを観測と愉快な仲間に出会えた旅でした。
テキストは当時の記述を尊重しながら一部再編集したものとなります。

成田空港へ

 3月19 日(土)当時、北関東のとある街に住んでいた我々は自宅を10:30頃出発、バス停まで約10分程を大荷物を持って歩いていき、バスでターミナル駅までいく。まずは駅ビルでうな重を食べて腹ごしらえをした。この旅への意気込みが見えます。しかも、レストランのくじ引きで500円の商品券が2枚当たるという幸運な旅立ちであった。
12:14発の在来線快速で上野へ向かう。途中駅で事故のため15分の遅れがでて、上野に着いたのは13:55 になってしまった。我々は14:01発のスカイライナーの予約をしていたので、京成上野駅に急いだが、タッチの差で間に合わなかった。駅員にチケットの払戻しを求めたが、できないと言われたため14:24発の特急で成田空港へ向かう事となった。これでくじ引きの幸運は帳消しとなる。15:35頃成田空港へ到着し、現金300US$ とトラベラーズチェック500US$を購入した。そして缶コーラとポカリスエットを買い集合場所のGカウンターヘ行った。
*当時はトラベラーズチェックだったんだと改めて時代の流れを感じました。

成田空港 集合場所

集合時間の16: 30 になっても旅行社の案内表示はどこのカウンターにもなくGカウンターの周辺をうろうろしていた。15分ぐらいして、アメリカン航空のカウンターで聞くと一番右のカウンターでやっていることがわかりようやくチェックインする事ができた。そこで添乗員(白川さん)から箇単な行程の説明を受けて、搭乗ゲートに向かった。まず、空港使用料2000 円を払い出国審査へと進んだが、長蛇の列で用紙に記入するスベースもない程であった。数10分かかり、ようやっと出国のスタンブが押され、手荷物チェックをうけて搭乗ゲートに到着した。

いざ シアトルへ


アメリカン航空AA26便に乗り込み22C,D の席についた。席は狭く、座り心地はヘッドレストが高く後頭部がいたくなったが、通路側だったためなんとか我慢できた。シアトルまでの飛行時間は8時間30分で食事が2回、映画が1本上映された。食事は機内食としては平均レペルでハーゲンダッツのチョコレートアイスクリームがついていたのが他の飛行機との違いであった。妻は少し体調を崩していたためこれを食べなかった。シアトル到着が朝の10時のため、機内で充分な睡眠をとろうとしたがこれからの旅の興奮からか、なかなか寝付けず結局1-2時間しか眠れなかった。シアトル到着の45分前頃に我々の乗るMD11型飛行機は徐々に高度を落とし始めた。べルト着用のサインがつき飛行機は大きな揺れもなく定刻通りシアトル時間AM10 時にシアトルタコマ国際空港に着陸した。

アメリカの入国審査は想像以上に時間がかかった。必要な書類はバスポート、入国カード、税関の申告書の3点であった。ツアーということもあり審査官にはなにも聞かれずに通過することができた。次に税関を通過し荷物を預け(自動的にアラスカ航空まで運んでくれる)白川さんの後をついていった。まず地下鉄に乗って2個目の駅で降りそこから歩いていったが、途中何回か迷った。白川さんは歩くのがとても早く、みんな付いていくのに苦労した。白川さんがアラスカ航空にチェックインしている間、外を眺めていたが、空港に来る車に日本車が多いのにはびっくりした。

アラスカ航空でアンカレッジ経由フェアバンクスへ


シアトル発12: 40のアラスカ航空AS093便でアンカレッジに16: 30に到着、そして再びフェアバンクスに向けて離陸した。離陸して30分程すると左手にマッキンリー山が見えると機内アナウンスがあった。左を見ると非常に大きく高い山が見えた。スチュワーデス(*当時はまだフライアテンダントという名前は浸透していなかった)に聞くとあれがマッキンリー山だという。マッキンリーを過ぎ30分程でフェアバンクスに到着した。到着ロピーに着くと現地の旅行会社の人と、チャタニカロッジのひとが迎えに来ていた。迎えに来た車は10年以上前のシポレーのマイクロバスで、右側の窓はひび割れができていた。後で間いたが室内外の温度差で割れてしまうとの事だった。

迎えにきたシボレー 今見るとカッコ良いですね

チャタニカゴールドキャンプへ
チャタニカゴールドキャンブヘ行く途中でFred Meyer というスーパーマーケットに寄った。ここで、水とバナナとオレンジを買った。ここで妻が急に下痢になり、青い顔でRest Roomを探しに行った。幸いすぐにみつかり事なきを得た。スーパーを出発しチャタニカに向かう途中、アラスカパイプラインを見学した。パイプラインとはいえ、説明書きがあっただけでたいした物ではなっかた。そこでアラスカの真っ赤な夕日が地平線に沈むのをみたが非常に感動的だった。

チャタニカゴールドキャンプ到着
パイプラインを後にして30分程でチャタニカゴールドキャンプに到着した。そこは、想像以上にさびれた山小屋であった。しかし部屋はシンブルでシングルベッドが二つあるだけだったが清潔であった。不満は共同シャワーのお湯の出が悪かった事と、一階のトイレの鍵が無かった事であった。この日は夕食が付いていなっかたため、12$ 程でバイキング形式の夕食を取った。

オーロラ観測(チャタニカ1日目)


一日目は勝手がわからないため、10時頃からロッジの周りを30分おき位夜空を見に行った。服装は上は、Tシャツ、長袖の下着、ウールの下着、スキー用のタートルネック、友達から借りたトレーナー、ダウンジャケット、コートの実に6枚重ね着、下は靴下2枚、長ズポンの下着、スウェット、スキーズボン、頭は帽子とマスクという格好である。午前1時頃まで全くオーロラはでず、移動の疲れもありもう寝てしまおうとしていると、廊下で薄いけれど出ているとの声がした。急いで外にでると確かに薄いオーロラが出ていた。第一印象はこんなものかという程度であった。しかし、しばらくすると散らばっていたオーロラが上空で集まりユラユラと揺れだした。この時はだだ凄いとしか言いようがなかった。前から来ていた日本人によると、ここ2日ぐらいは見えなかったのになんてラッキーなんだと言っていた。

フェアバンクス観光


昨晩3時ぐらいまで起きていたため、目を覚ましたのは11 時半頃であった。昼食はバイキング形式のものを食べた。食事の時白川さんが今日の自由行動について話していた。我々はフェアバンクス観光をすることにした。他にはアルペンスキー、クロスカントリースキー、休養する人などがいた。
フェアバンクス観光
午後2時頃、昨日のマイクロバスで観光へでかけた。メンバーは白川さんを入れて8人とロッジのじいちゃんとその孫の男の子だった。ロッジのじいちゃんは昔、軍隊にいて、日本にもいったことがあると言っていた。また、最近交通事故にあい左足が不自由になったと言っていた。うちらは一番後ろの席に座ったが、バスがボロイせいか揺れがひどく気分が悪くなりそうになった。まず、アラスカ大学の博物館にいった。ここには、ほかの日本人の団体も来ており、ロッジのじいちゃんがMany many Japanese と言っていた。博物館の外にはAuroraと書いてあるロケットが置いてあった。中にはオーロラの写真と技術的説明や、エスキモーの民族衣装や工芸品、アラスカの動植物などが展示されていた。そこの売店でオーロラの絵葉書と木彫りのトナカイのベンダントを買った。

アラスカ大学 博物館

博物館を後にしてアラスカランドに向かった。そこはアラスカの明治村のような所で昔のアラスカの町並みが残っていたが、たいした感動は無かった。覚えているのは薄着だったせいもあり、物凄く寒かったことであった。

アラスカランド

アラスカランドを出てフェアバンクス駅に行った。ここは、冬は週に1本しか列車が無く、ここが駅なの?という印象であった。次にショッビングをするために店を探したが、日曜日の夕方だったせいかどこも閉まっていたためスーパーマーケットヘ行く事にした。そこで、菓子パン、ミネラルウォーター、コーラを買った。その後ロッジの孫がアイスクリームが食いたいと言いだしたため、みんなでアイスクリーム屋へ行った。そこで、チョコレートアイスを1カッブ(1.5 $)買った。ロッジのじいちゃんと孫は巨大なコーンに入ったアイスをみごとに平らげてみんなで驚いていた。
アイスクリーム屋を出てロッジヘ向かったがスキー場を過ぎたところで、道端を歩いている2人組を発見した。ロッジのじいちゃんが心配に思い、何処へいくんだ?と問くと、その2人は日本人でチャタニカロッジヘ行くという事だった。まだロッジヘは6マイルぐらいあり、外気はマイナス20度の世界である。じいちゃんが乗せてってやるといって一緒に乗って行った。アラスカではこれが普通なのだそうだ。

オーロラ観測(チャタニカ2日目)


今日の夕食はサンドイッチであった。僕はステーキサンドを食べたがステーキがパサパサであまりおいしくなかった。今日は9時頃からオーロラ観測を始めたが、最初に外に出た時から何か空がぼやけていてオーロラのでき初めのようであった。10時頃には空一面に薄いオーロラが出ていて何やら期待のできる雰囲気になってきた。みんなで期待を膨らませて待っていると、方々に散っていたオーロラが真上に集まりだした。そして、カーテン状になりユラユラと揺れだした。そして時折カーテンの下の方が赤みを帯びていた。最盛期には上空何処を見渡してもオーロラがユラユラ揺れておりとても幻想的だった。その日はその後2時間おきぐらいにきれいなオーロラが見えた。

チェナホットスプリングスへ


今日は朝10時に起きて犬ぞりに乗った。アラスカ犬6びきが引くそりを一人が操作し、前に妻が乗り、後ろに私が乗り込んだ。走り出すと雪面との振動がもの凄く、スピードも想像を遥に越えるものであった。騎手は犬の名前を◯○! と呼びながら操作していた。時々犬が用を足すために止りながら15分かけてロッジの周りを一周した。終わるとマスクが白く凍っており、前に乗っていた妻はもっと寒かったと言っていた。

犬ぞり体験


犬ぞりが終わりAM11:30 に例のバスでロッジを出て、昼食とチェナからの迎えの車を待つ為にWestmark Fairbanks Hotel に向かった。ここでチャタニカロッジの人と別れて昼食を取った。menuはサーモン、おひょう(ハリバット)のフライ、ステーキの中から1つとサラダがつくものであった。サラダは1人前が例によって巨大でそれだけで腹いっばいになってしまうものだった。今日のおすすめはハリバットだった。食事が終わって午後2時頃チェナからの迎えのワゴンでチェナホットスブリングヘ向かった。迎えに来たのはDAVID という人で、車には日本の人形と彼女(日本人)の写真が飾ってあった。途中例によってスーパーマーケットに寄った。そこで買おうと思っていた懐中電灯を買った。チェナまでの道は時々Raugh Road と書かれた標識があり道がうねっていたが、アメリカ人は全くスピードを落とさないので車が大きく上下に揺れて時にはジャンブすることさえあった。チェナヘの途中で運転手が突然ブレーキをかけた。モースがいるという。道の右側を見ると黒い牛の様な動物の親子がいた。写真を撮るために外に出るとモースは気配を感じて奥の方へ逃げていった。再び車に乗り込み20分ぐらいでチェナホットスプリングスヘ到着した。チェックインし、我々はダブルベッド、シングルベッド、シャワー、トイレ、洗面所付きの部屋に泊まることになった。バスは付いていなかったが、ここは温泉が別にあるので不便はしなかった。不満だったのは、水が鉄臭く飲むのにはあまり適さなかった事であった。ここのリゾートはリゾート内に日本語の案内があり、また、日本人のスタッフのユミさんがいて、もし困った事があったらユミさんプリーズと言うと無線でユミさんがすぐに駆け付けてくるというサービスぶりであった。リソートの中は我々がいた期間は他の32人の団体(全日空ハローツアー)が来ており日本人が非常に多かった。

チェナ(滞在1日目)


午後6時から夕食となった。メニューはステーキ、野菜炒め、魚料理から1つを選ぶものだった。夕食のときユミさんが挨拶にやって来た。年は20台前半で後で聞くとシアトルの大学を卒業したばかりとの事だった。夕食後白川さんがオーロラドームに案内してくれた、ドームはブールの裏手の斜面の中腹にあり歩いて5分位のところだった。まだ時問が早かったため中には入れなかった。午後9時半頃になり、オーロラ観測のためドームに出かけた。ドームの中には蒔きストーブが1つあり、寒さを耐えるには充分であつた。しかし、10時半位までは全くオーロラは出ておらず、またトイレにも行きたくなったため一度下に戻ることにした。下まで降りると空にうっすらとオーロラらしきものが出はじめた。そこで、急いで用を足して再びオーロラドームヘ向かうことにした。再びドームに登ると中は、ストープの番のひとを除いてみんな日本人であった。その雰囲気はまるで立山の山小屋の様であった。しばらく中で暖をとっていると、外で出ているという声がし、みんな外へ行った。はじめは薄く短かったオーロラがみるみる濃く長くなり空一面に広がった。
私は、夢中でカメラのシャッターをきったが、昨日までいたチャタニカと違ってここはミーハーなひとが多く邪魔がたくさんはいった。中にはオーロラに向かってフラッシュをたいて写真を撮っている人もいた。また、昨日に続いて今日も寒さのためカメラのシャッターが結露で凍りつき閉じなくなり撮影が出来なくなってしまった。今日のオーロラは細長いおびが2本伸びていて昨日までとは違った美しさがあった。何回か強弱を繰り返した後、一時全くオーロラが見えないときがあった。その間はドームの中で暖をとっていたが、一人消え一人消えという様に人数が減り午前1時半頃には我々を入れて6人ぐらいになってしまった。それでも粘っていると空に突然再びオーロラが現われ先程以上に輝きだした。しかし、今日はだんだん雲が増えてきて月が隠れる様になってきたので2時頃であきらめて宿に戻った。宿に戻ってから急いで温泉ブールにいった。営業時間が3時までということだったのでジャグジーだけに入いった。温泉というよりはプールの臭いがしたせいかプールに入っている感じだった。

チェナ(滞在2日目)


今日は昼までぐっすりと眠った。起きて昨日と同じ場所で昼食を食べた。わたしは、ローストビーフサンドを妻はチェナクラブサンドを食べた。こういうアメリカの食事にもいささか飽きてきた為か二人とも全部は食べられなかった。今日は昨晩からの天気の崩れのため曇り空であった。遊覧飛行をしようとした人もキャンセルになった。我々はクロスカントリースキーに挑戦する事にした。同じツアーで来ていた仲井さんに用具の使いかたと箇単な滑り方を教わって、初級用の一周5kmのコースに挑戦した。最初はコツがつかめなかったが30分ぐらいで軽い登りなら、らくらく登れるようになった。いままでクロスカントリーに抱いてイメージよりずっと楽で面白いものだとわかった。クロスカントリースキーをはいて森の中を歩くのがこんなに面白いとは思わなかった。しばらく行くと急坂が現われた。ここはさすがに登り方がわからず、ずり落ちてしまう為、スキーを脱いで歩いて登った。ここがこのコースの頂上だったみたいで、後は緩い下り坂になった。ここが最も楽であった。しばらく行くと反対周りに回っていた人達に出会い、写真を撮ったりした。この先のコースの状況を間くと一ケ所だけアイスバーンの下り坂があるので注意した方がよいとの事だった。しばらく行くと、その下り坂が現われた。おもいきって降りると曲がり方がわからずアイスバーンでおもいっきり転倒してしまった。その後に続いた妻も同じようにおしりを強く打って転倒した。アルベンスキーと違って下るのが難しいことがつくずく分かった。その場所を越えると後は平な所で、20分ぐらいでスタート地点のブールに着いた。スキーが終わってからは部屋でシャワーを浴びたりしでくつろいで過ごした。夕食は6時からいつもの場所だった。今日は曇っていてオーロラは見えそうもないので、10時半から宴会をやることに決定した。夕食後、今日は本格的に温泉に入りにいった。ここには、ジャグジーが2つ、源泉が1つ、25mブール、それに露天風呂があった。お薦めは露天風呂で、裸でマイナス30度に出る瞬間はとても寒いが、お湯の中に入ってしまえば頭だけひんやりして、とても気持ちがよかった。露天風呂から出て室内の椅子で座っていると、外を水着をきた男女がマイナス30度のなかを平然として歩いてきた。これにはさすがにびっくりした。さらに、このカップルは露天風呂に入った後、熱かったのか雪の上に寝ころんでしまった。これには、ただ呆れるだけだった。その日はその後、チェナでの最後の夜という事でみんなで食料を持ち寄ってバーティーを開いた。メンバーはツアーの12人とユミさんだった。みんな、オーロラをみるツアーに来るだけあって変わり者が多かった。金持ちそうな鈴木さん夫婦は中国へよく行くといっていた。静岡からきた兄弟は皆既日食を見にメキシコヘ行ったと言っていた。妻が最初に男と間違えてしまった吉田さんは、広尾に住んでいて、トラックにひかれて足に大怪我を負ったといっていた。また、その友人の鈴木さんは卒業旅行でーか月位ヨーロッパを周遊したといっていた。また、今は会社を辞めて失業中といっていた。仲井さんは筑波に住んでいて、タクラマカン砂漠へ行きたいと言っていた。田中さんはエジプトに行ったことがあり、山形さんは画家で、アフリカに動物を見に行ったといっていた。実に個性に富んだ人たちであった。

アンカレッジへ


きょうは7時にモーニングコール、7時30分にバゲッジダウン、8時に出発の予定だったが、朝食を食べてから(菓子パンとオレンジとジュース)出発したので8時半頃になってしまった。途中道端にモースがいたため止って写真を撮った。白川さんは飛行機の時間が気になるのか外へは出ずにいた。約1時間でフェアバンクス空港についた。チェックインしている間に売店でステッカーを買った。そして11時50分発のアラスカ航空AS082便でアンカレッジに向かった。晴れているば途中でまたマッキンリーが見えるはずだったが、今日は雲っていて何も見えなかった。アンカレッジヘの着陸体制にはいると突然妻が耳が痛いと言いだした。どうやら寝不足が原因らしい。アンカレッジに着陸して慣れるまで、この痛みは続いた。予定どおり12時50分にアンカレッジに到着すると、出迎えの現地旅行社の人と、バスが既に来ていた。すぐにバスに乗り込み、HotelCaptain Cookに向かった。途中曇っていたが周辺の山々がきれいだった。晴れていたらきっとすばらしいと思った。15分ぐらいでホテルに着いた。ここはアンカレッジの中心部に位置するらしい。まだ時間が早かった為、荷物をおいて昼食にいく事になった。今日はホテルを出て4番街を東に5分位歩いた所にある熊五郎という日本料理屋へいった。昧は今までのアメリカ料理と比ぺればおいしいが日本では今ーの味だった。昼食を終えてホテルにチェックインした後は自由行動になったが。我々は鈴木夫妻、吉田さん、鈴木さん、白川さんとREIというアウトドアショッブヘ行った。そこはミッドタウンにあり、ホテルからタクシーでいった。料金はチッブ込みで6$であった。そこは、日本のWILD1の親玉の様な店だった。会員になると日本からメイルオーダーで買えるとの事で15$で会員になった。フリース素材の物が日本とは比ぺものにならない程安かった為、家族にはフリースの衣類をおみやげにする事にした。上着が40-60$ぐらいだった。自分にはジャケットを1つ買ったそれも80$ぐらいと格安だった。6時にタクシーに我々をピックアップしてくれる様に頼みホテルに帰った。それから別のおみやげを買う為にJCPennyというデパートヘいったが、あまり品揃えが良くなかった為4番街の店でブローチなどの土産物を買いホテルに戻った。夕食は7時からだったので、部屋に荷物を置いただけでそのまま夕食に出かけた。場所は入江に面したElevation21というレストランに行った。そこは入江の夜景がきれいだった。そこにはせっかちなウエイターがいた。昧はそれほどでもなかった。最後に出てきたアイスクリームはまずくて食べらるなかった。ホテルに戻り風呂にはいってから仲井さんの部屋でみんなで雑談をしていた。会話が弾み、解散したのは2時くらいだった。

そして東京へ


今日は東京へ帰るため4時にモーニングコールで5時にホテル出発した。昨日2時に寝たためほとんど寝てない事になる。アンカレッジ空港について、空港のレストランで簡単な朝食を食べてから6時50分発のAS084便でシアトルに向かった。今日も妻は耳の痛みを訴えていた。離着陸時の気圧の変化がいけないらしく、水平飛行になると少し楽になるという。飛行機の中では昨日寝てないためほとんど寝ていた。飛行機は予定どうりシアトル11時15分に到着した。妻は相変らず耳が痛いのかあまり元気がなかった。しかし、免税品店でチョコレートを買わなければならなかったので、免税品店へは行ったが、他は搭乗ゲートにある椅子に座っていた13時5分発のアメリカン航空AA27便でシアトルを離陸し東京へ向かった。今回の旅行は珍しく飛行機の遅れが1回もなく、極めて順調に進んだのは良かった。飛行時間は10時間程であったが、そのほとんどを寝て過ごした。寝ている間にクールランニングの映画をやっており、目を覚ました時にはすでにラストに差しかかっていた。妻は最初から見たと言っていた。ほぼ定刻通り高度を落とし成田への直陸体制に入っていった。その時機体が上下に少し揺れて緊張感が機内に走ったが、無事に成田に着陸した。入国審査、税関を無事に通過しみんなと別れたが、今度都内で集まる事になった。
自宅へ
我々は7時40分発の空港連絡バスで帰る事になった為2時間ぐらい時間があった。そこで、荷物
を預けて軽い食事をとった。私はうどんを、妻は天ざるを食べた。妻は旅の疲れが出たのか熱っほいみたいで、ペンチでぐったりしていた。私は、ユンケルを買いに行った。バスは結構込んでいて並んで座る事はできなかった。中で出張帰りの同僚に合った為しばらく雑談していた。高速が渋滞していたので一般道を通ったが3時間ほどでホームタウンに着いた。そこからタクシーで無事に家へ到着した。妻は明日から仕事があるので風呂にも入らずに寝てしまった。

以上が30年ほど前のアラスカ旅行記でした。いま振り返ればかなり良い条件でオーロラを観測できたのでした。当時はもちろんデジタルカメラもスマートフォンもなくオーロラ撮影は勘と経験が全てでした。機械式シャッターの寒さ、結露対策もよく勉強していったつもりでしたが経験不足はいかんともし難いものがありました。これが今の時代なら電子シャッターになり撮影後にすぐに確認できるのできっと素晴らしい画像が撮れるのではないかと思ってしまいます。
ぜひ再訪してみたいものです。

最後に、この時参加していた方とは今も年賀状を交わしているのが不思議です。