思い出はいつも・・・

 このサイトの管理人は猫科の習性のため毎日同じ縄張りをパトロールする事が多く、縄張りを離れて遠征することはそんなに多くない。その少ない経験においてよく遭遇する事がある。今回はその旅路を少し紹介します。

事の始まりは30年程前の1995年9月のイタリア旅行でした。この旅は某旅行会社のツアーで行きました。当時「アリタリアでいくイタリア⚪︎日間」とかいうパンフレットだったと記憶しています。しかしこれには罠がありましてアリタリアで帰るとは書いていないのが味噌でして、帰りはローマからシャルル・ド・ゴール経由のエールフランスで帰国しました。往復直行便と思い申し込み見事にはまったものの確かに書いてある通りだと納得したものでした。

さてアリタリア航空で確かミラノマルペンサ空港に到着し、ミラノに泊まったときの事です。
ーー以下当時の紀行文ーー

朝食後バスに乗ってミラノ市内観光へでかけました。まず行ったのがサンタマリア・デレ・グラッツエ教会でした。そこには最後の晩餐という絵があって入場するのに50mぐらいの行列ができていました。その行列の大半は日本人の観光客でした。30 分ぐらい待って中に入る事ができました。中に入っても外気の進入を防ぐためか何重にもドアで仕切られていました。ようやく目的の最後の晩餐のあるところにはいると絵は修復中で脚立のようなものが前に置いてありました。絵は非常に薄く美術の教科書でみるのとは大きな違いでした。

サンタマリア・デレ・グラッツエ教会


ーーー紀行文終了ーーー

そう「最後の晩餐」は1977年から1999年まで実に22年間もの長い修復作業の最中だったのです。訪れた1995年は修復作業の終盤であったようです。とても絵が薄かったのだけは今も覚えています。

参考資料:https://croissant-online.jp/culture/41144/

最後の晩餐をみた後、地下鉄とバスでサンシーロスタジアムに行き、当時世界最高峰だったACミランの試合をみました。対戦相手はアタランタでホームのミランがロベルトバッチョのゴールなどで3:0で勝利し楽しくホテルまで帰ったのを覚えています。

ーー以下当時の記録文ーー

自分の席に行くのは大変かと思っていましたが案内板と係員にきくと意外に容易に席を探すことができました。席に着いたのがキックオフ間近だったためか席が空いていないように見えましたが一番通路側の人にこのチケットはここでいいのかと聞くと、ここでよいと言うので人をかき分けていくと、イタリア人は意外にも親切でちゃんと席を空けてくれました。席に着いてまずびっくりしたのはスタジアムの大きさと観客の騒ぎようでした。特に観客の熱狂の仕方は日本とは比べものにならないものがありました。ゲームが始まると熱狂は更にすごくなり良いプレーをすると大喜びし、ミスでもしようものなら重箱の隅をつつくように大騒ぎをする。Jリーグとの違いは観客の応援の違いだと思いました。Jリーグは応援団の様な感じで歌を歌うにしろ誰かに歌わされている感じがするのに対してイタリアは観客一人一人が自発的に声を出してまさにゲームを楽しんでいる感じがしました。横にいた親子などはミランが先制点を入れると飛び上がるように立ち上がり息子と抱き合っていました。そんな雰囲気であっと言う問に前半も終わり後半に突入しました。30 分ぐらいまでゲームはこう着状態が続いた。イタリア人はかなりせっかちで次第に席を立ち家路につく人が目立つようになりました。あの親子もミランの勝利を確信したように家路につきました。しかし、このゲームのハイライ卜はこれからでミランがバッチョのゴールなどで立て続けに2点を入れた。結局3対0でアタランタをくだしました。今日はミラニストにとって最良のゲームでありました。



ーーー紀行文終了ーーー
少し生意気なのは若気の至りです。


その後イタリア半島をバスで南下しベネチア、フィレンツェに泊まりローマまで行くいわばゴールデンルートでした。最終目的地のローマで市内観光をしていました。バチカンを観光後、地下鉄で「ローマの休日」でオードリーヘップバーンがジェラートを食べた階段を目指しますが、ここも見事に改修中で入れません。
ーー以下当時の紀行文ーー
美術館を後に再び地下鉄に乗りスペイン階段に行きました。駅を出ると黒人の物売りがたくさんいました。その物売りは取り締まりが来たのか、ものすごい早さで荷物をかたづけて逃げていきました。スペイン広場は改装中で外から覗くことしかできませんでした。その後、グッチなどのブランド店が立ち並ぶコンドッティ通りに行きましたが、とても店の中に入れる雰囲気ではなく通り過ぎただけでした。今度は銀座で練習を積んでから来る必要があると思いました。結局庶民的な店が多いと言われるナツィオナーレ通りに行くことにしました。そこで再び地下鉄に乗ろうと自動販売機で切符を買おうとしたのですがやり方が良くわからなかった。そこでうろうろしていると他のアメリカ人のような外人も買い方がわからなく同じようにうろうろしていて結局外の売店に切符を買いに行った様でした。我々は結局買うのに20分ぐらいかかったものの何とか買うことができました。
迷った理由は、案内では釣り銭が出るはずなのに実際は出ないため何回やっても駄目だった様ででした。
ーーー紀行文終了ーーー

参考: https://www.arukikata.co.jp/web/article/item/2180943/

改修が行われたのは1995年と2015年から2016年とのことで20年間隔みたいです。なんてラッキーなんでしょう・・・・いつかスペイン広場と最後の晩餐をちゃんと見に来なければと思いながら30年程過ぎましたが実現しておりません。

続編につづく