Naeba 日記

毎年2月某日、我々は苗場にいることが多い。

そうユーミンが1981年から開催しているリゾートライブ Surf & Snow in Naebaに参戦するためとほんのちょっとだけスキーをするためである。

このイベントは今年で43回目となります。
これだけ続けてやっていると色々なことが起こるもので、過去には大雪で苗場への交通機関が全て遮断されたりした事もありました。
コロナ(COVID-19感染症の蔓延)もまたその一幕でしかないのかもしれません。

2019年大晦日の昼にテレビニュースで淡々と伝えられたのが、武漢市で「原因不明の」肺炎の集団感染が確認されたと世界保健機関(WHO)に報告した というニュースでした。これが世の中を変えてしますとは、ユーミンの苗場公演で振り返ります。

Vol. 40 (2020年)

2020年はオリンピックイヤーで東京が興奮に包まれるはずでした。しかし、コロナの影響は正月が明けるとすぐにやってきました。当初は対岸の火事のように思っていましたが日本でも感染者が確認され、世の中は徐々に怪しい雰囲気に飲み込まれていきました。この年のユーミン苗場公演は40回目の記念公演でした。2月2日が初日で19日が千秋楽というスケジュールでした。

我々は2月3日に参戦しました。奇しくもダイヤモンドプリンセス号が横浜港に入港したのもこの日でした。この時点での苗場プリンスホテルの対応は従業員のみマスクの着用をしていました。

毎年通っている「鮨 みながわ」でも職人の方がごめんなさいね、ホテルからの指示でマスクを着用させて頂きますと申し訳なさそうに応対してくれました。このお店の職人さんは東京大森海岸の老舗鮨店から派遣されていて、スキー場でその味が味わえる貴重なお店でした。


この日はここで地酒苗場山で一杯やり舌鼓を打ちました。この頃の定番はここで夕食を楽しんだ後、メインバー もしくはシャトレーヌでカクテルを飲むというものでした。いや〜良き時代でした。

翌朝は天気が良かったので、朝一でゴンドラに乗り大斜面をスキーで駆け下ります。
バーンは整備され実に気持ちの良い瞬間です。何本か滑り早めの昼食をとりにゴンドラ山頂駅にあるレストランプリンスに向かいました。

ここは苗場の象徴とも言える建物で、小さな小屋ながら中央に大きな薪ストーブが設置された良い雰囲気のスペースです。当時はゴーゴーカレーの店が入っていました。


ここで食事をしていると何かいつもと違う雰囲気に、何かと見ているとユーミンが雑誌の対談のためやってきました。
これにはびっくりです。声をあげることもできないのでじっと様子を眺めておりました。ものすごく特した気分でした。この予想しない展開のあと、気分よくホテルまで大斜面を滑りていきました。

しばし部屋で休憩した後、当時はまだ夜のライブに先立ちサーフ&スノーカップというスキー大会が午後に開かれていました。これはスピードを競うものではなく公演関係者の滑走タイムに近いタイムを出した順に順位が決まり賞品がもらえるものでした。また、誰でも賞品が貰えるように色々な賞が用意されており、ライブに参加する人だけが参加できる楽しい大会でした。

我々も勿論参加しました。私のタイムはターゲットタイムにかなり近くこれは期待をいだかせる感じでした。結果発表は夜のライブ後にある表彰式までお預けです。

さて、夜の本番ライブは40周年という事でいつもと違う演出でした。いつもはセットリストの最後で定番の曲「BLIZZARD」からはじまるものでした。そしてマスクなしで楽しめた今となっては貴重なライブとなりました。ライブの余韻の冷めやらぬうちに、サーフ&スノーカップの表彰式がはじまりました。前に述べた通りこの大会は基準タイムとのタイム差を競う戦いです。タイム差の大きい方から順繰りに発表され、いよいよトップ3の発表に、もしかしたら優勝と思いましたが、残念!準優勝でした。賞品はビンゴゲームのように番号によって決まっているのですが私は定番の5番を選択!賞品はカレンダーでした。賞品には残念ですが楽しい思い出でした。


山から降り街に戻る頃になると日に日にコロナの状況が悪くなっていきました。メディアもダイヤモンドプリンセス号の状況を連日伝え、日々深刻な状況となっていきました。そんな中ユーミンの苗場公演は無事千秋楽を迎えられたのは奇跡だったのかもしれません。

3月になると私の勤務先でも原則出社禁止で在宅勤務となりました。これがまさか2年も続くとはこの頃はまだ想像すらできませんでした。そして4月になると緊急事態宣言に突入していきました。とても音楽ライブを開催できる状況ではなくなっていきました。無観客でのオンラインライブ配信なるものがこの頃からはじまりました。

Vol. 41 (2021年)

次年の苗場公演が発表されるのは、例年は9月の祭日あたりで発表され、10月にチケット販売という流れでした。しかし2021年のVol.41の開催は中々決まりませんでした。もしや中止もしくはオンライン開催?などが脳裏をよぎる中、例年より1ヶ月遅れの10月末から発売が開始されました。

今回は感染対策の徹底のため観客数が絞られたため、チケットはとても狭き門となっていました。そしてコロナを機に電子チケットが一気に普及していきました。

年が明け2021年になると同時に感染者がまた増加していきます。そして再び緊急事態宣言になっていきます。チケット購入者に対してチケットの発券を延期しますという不吉な案内がきました。そしてしばらくして公演が3月末に延期が決まりました。

今年はJR付きツアーでのみ当選していましたが、新幹線で行き来する気分にはまだなれず、往復レンタカーで出かけることにしました。苗場につくと、そこはいつものウィンターリゾートとはかけ離れた春のマダラ模様でした。勿論サーフ&スノーカップなどあるわけもなく、ホテル内も6号館のフロントは閉鎖されており本当に寂しい雰囲気でした。


そんな中ですが、いつものようにライブははじまります。今回はセンターステージのレイアウトで観客は座席表から数えてみると2020年は1459席あったものが2021年は583席しかありません。いつもの3分の1となります。これではプラチナチケットとなるわけです。席の左右前後はソーシャルディスタンスが保たれ、マスクは勿論フェースシールドもMustでつける必要がありました。今年のテーマは「宇宙旅行」フェースシールドが宇宙服ぽく見える演出でした。これがこの時できる精一杯の演出だったのですね。

苗場が終わり初夏を迎えると世の中はオリンピックに向かい疾走していきます。しかしコロナも史上最強デルタ株の出現により緊急事態宣言のままオリンピックを迎える事となります。

Vol. 42 (2022年)

パラリンピックも終わると流石のデルタ株も収束の気配がでてきました。そしてまた翌年22年の苗場チケット発売の案内がくる季節10月となりました。我々はここでも何とかチケットを準備しホテル予約も完了し参戦準備は整いました。

11月になるとデルタ株の勢いはより衰え、明るい雰囲気がでてきました。しかし海外からは新しい変異株が出現したとのニュースも流れておりました。当時はこのオミクロン株の影響がわからなかったため再び警戒モードにも突入していくのでした。
年が明け2022年になると東京でも感染者は急増していきました。その中で2月7日初日でライブははじまりました。我々は16日の公演に参戦しました。

今年も新幹線での移動は避けて往復レンタカーでの移動としました。今年の苗場はいつもの雪景色でしたが、以前としてスキー大会もなく、行きつけの鮨屋も閉店しておりました。お客さんもまだまだ少ない感じでコロナ前の2020年の賑わいには程遠い印象でした。



苗場公演にもオミクロンの影響は大きく、前半はコーラスのお兄さんが欠席、そして最終日はやはり関係者に感染疑い者がでたとの事で安全第一で中止となりました。

観客数は1152席となりコロナ前の8割にまで回復はしておりました。今年のテーマは「走る」こんな状況でも走り続けることに意義があると理解しました。

そしてこの年も苗場を終えて街に帰ると、我が勤務先もリモート主体の勤務から出社主体の勤務形態に変わっていきました。感染状況はオミクロンBA5の感染力の高さから高い状況をキープしているものの、重症化率は低下したため、マスクはしているものの次第に街も賑わいを取り戻していきました。

Vol. 43 (2023年)

そして再び10月になり、翌年の苗場公演のチケット発売の知らせが届きました。今回も何とかチケットとホテルを手配できました。

世の中は入国時の制限がほぼなくなり街にも外国からの旅行者をみかけることが増えてきました。
11月にはサッカーのワールドカップが開かれその状況が全世界に発信されるのと時期を同じくして中国がゼロコロナ政策を転換しました。そのため中国では感染者が増え以前として不気味な雰囲気のまま年を越すこととなりました。

2023年の苗場は初日に参戦することになりました。今年はスキーもしようということで前日入りしました。交通手段はコロナ前のように新幹線とレンタカーの組み合わせです。苗場プリンスホテルに入ると昨年よりさらに賑わいは戻っていました。そして目につくのは欧米系の外国の方でした。ようやっとインバウンド需要が戻ってきたのでした。ただ、ひいきにしていた鮨屋さんやメインバーは営業していませんでした。インバウンド需要を読みきれなかったのかもしれません。

当日は快晴だったため着替えて早速ゲレンデにでてみました。久しぶりのスキーだったので数本滑るともう足がガクガクしてきました。また、初心者が多かったのかゲレンデで止まっていると2回も突っ込んでくる方がおりました。この20年位ぶつかられた事はなかったので少し変な感じです。皆さん久しぶりのスキー、スノボなんでしょうか。そんなこともありそうそうと部屋に引き上げることとしました。

夕食はイタリアンフェアのバイキングとして、食事後シャトレーヌにカクテルを飲みにいきました。ここはゲレンデの見えて暖炉がある雰囲気の良いスペースですが客は我々の他に一組のみで静かに楽しめました。このあたりはまだお客が戻っていないようです。翌朝も快晴だったので、朝一でゴンドラに乗りました。雪は夜中にグルーミングしてくれるのでコブもなく最高、お客も少なく快適にクルージングできました。少し早めの昼食をとろうと思いフロント側のエーデルワイスへ、ここは夜になるとユーミングッズ売り場に変わるとともにコロナ前はサーフ&スノーカップの表彰式が開かれていたカフェとなります。



昼にここへ来るのは初めてかもです。食事をしながら外界を眺めていると、送迎バスでやってくるツアー客や納入業者、フロントに飾る花を届けにくる花屋さんが入れ替わりやってきます。ここでライブをやる事で地元の方にも仕事が落ちてくると改めて感じました。

さて、43回目のライブはタイトルが「All about surf & snow」 そうサーフ&スノーの全てというタイトルでした。これが異例の展開でした。このタイトル通り前半は過去のサーフ&スノーのオープニング曲を集めたメドレーでした。
これが43回もあるとメジャー曲ばかりで実に45分以上となりました。これには皆大興奮でした。
ちなみに座席数は1148席と昨年とほぼ同じです。コロナ前の8割は変わらずです。



そして、ライブの余韻のまま車で帰路につきました。これは毎年同じです。