イタリア旅行記1995

この旅行記は今からおよそ30年ほど昔にイタリアを旅した記録です。
当時の記述を元に表現のみ再編集しました。スマートフォンは勿論携帯電話もメールも普及していなかった時代となりますが、歴史的建造物は今も変わりません。

1995年9月22日(金)出発前日
今日はいつもは9時30分頃出社なのに朝7時30分に会社に出社しました。それは勿論明日からの旅行に備え今日中に成田に移動し前泊するためです。会社で無事に業務引き継ぎを終えて午後3時30分頃に予定通り退社することができました。一方で妻は昨日から体調を崩し微熱がある様で心配していましたが、家に帰るとすでに熱も下がり、薬代わりのユンケルも飲んでどうやら大丈夫な様でした。そこですばやく荷物のチェックを済ませ夕方5時には当時の愛車BMWで成田に向け出発しました。大きな荷物を車に積み込む際、同じマンションの人が駐車場で子どもを遊ばせていたため、旅行に行くことがばれてしまった様でした。車は渋滞もなく東北自動車道、首都高、東関東自動車道を通り夜8時過ぎには無事成田全日空ホテルに到着しました。チェックインをすませ、ホテル内の中華料理屋で夕食を食べ早めに就寝につきました。

9月23日(土)出発当日
今日はいよいよイタリアに向けて出発する日です。ツアーの集合は朝9時30分に南ウイングなので8時35分のホテルの送迎バスで出発するという予定にしました。

    空港行きバス時刻表
6時  35 55
7時  15 35 55
8時  15 35 55

朝6時半頃起きて7時頃バイキングの高い朝食を食べました(1500 円?)。海外旅行に行くと、しばらくまともな日本食をとれなくなる恐れがあるため、この頃はいつもここで食べることにしていました。

予定通り9時前に南ウイングヘ到着しました。集合時間に余裕があったため,先にイタリアリラヘの両替をする事にしました。日本円で2万円分をリラに替えてもらいました。それでもまだ時間があったのでロビーに座って待っているとロビーには我が家と同じBMWが展示してありました。しかしそのBMWは我が家のとは違うグレードでアンテナのないタイプでした。またドアのところには変なシールがイタズラで張り付けてありました。

集合時間の10分ぐらい前に集合カウンターヘ行って聞いてみると、係りの人にイタリア行きは9時半にならないと受付をしないと断られました。集合時問になり再び集合場所に行き受付をしようと並んでいると、後ろにいた人は旅行代金が値下がりしたのを知らなかったらしく1万円を返金すると言われてとまどっている様であった。今回の添乗員は男らしく一瞬とまどいました。荷物をアリタリアのカウンターに預ける際にマイレッジの手続きも同時に行うことができました。荷物を預けるともう一度集合し全体説明がありました。ツアー人数は24人ということでした。注意事項はパスポートだけは絶対なくさない様にとの事でした。

入国審査は今回は大きな混雑もなくスムーズに通過することができました。妻は免税品店で口紅を買っていました。出発ゲートに行きそれぞれの実家に出国の電話をかけました。私の実家へかけると⚪︎⚪︎のところで今朝男の子が産まれたということでありました。ほぼ時間通りに飛行機に搭乗できました。席は窓際Aとその隣のBでした。通路側でないためトイレに行くのが大変だと思いました。飛行機は理由はよくわからず15分遅れで成田空港を離陸しました。離陸するとすぐ、富士山がきれいに見えました。飛行機は大きな揺れもなく約12時間後に無事ミラノマルペンサ空港に着陸しました。

ミラノ行きの飛行機からの富士山

ここで今回のツアーに参加した人物を紹介します。

く登場人物紹介>

ツアー同行者

ミラノの空港からバスでホテルまで行き、チェックインを済ませ、その日は解散となりました。ホテルのレストランでミネラルウォーターを買おうとしたらちょっとスペイン人ぽいウエイターに嫌がらせをされました。ミネラルウォーターは500mlで3000リラなので5000リラを出したら英語でおつりがないからフロントで両替しろといわれました。それなのに次に並んでいる人はちゃんとおつりをもらえていました。また、明日から冬時間になるとしていたので念のために添乗員に聞いてみると「僕は聞いていません、時間が変わるならちゃんと指示しますから」といって相手にされませんでした。私も時間が進む方向だからいいかと思い部屋に戻りました。部屋にもどり、ホテルにあったミラノ市内の地図でこのホテルはいったいどこにあるのだろうとホテルの住所をもとに探し始めました。住所をみるとButti 通りにこのホテルはあるのだが、中心街から探し初めてミラノの地図の北のはずれでようやっとVia-Buttiを探すことができた。それから、明日行こうとしているサッカー場のサンシーロスタジアムヘはどうやっていくのかをガイドブックで確認しました。ミラノ中心部からは、メトロにのってLotto 駅でおり、無料バスで行く。人の流れに乗っていけば到着すると書いてありました。

9月24日(土)ミラノ観光

今日は7時半にモーニングコール、8時に朝食、ホテル出発は9時の予定でした。ところが、
まずモーニングコールがかかってきませんでした。そしてテレビをみていたら7時と表示がでてい
て1時間時間が遅れているようでした。わたしは即座に冬時間に変わったのだと思いフロン
トにいって今何時か?と聞くとやっばり7時と言われ冬時間に変わっている事がわかりました。あ
の添乗員は僕も聞いていなかった(こんな事誰も教えてはくれない)と全く悪びれた様子はありませんでした。朝食は典型的なヨーロッパのものでまずいパンとコーヒー、紅茶だけでした。朝食後バスに乗ってミラノ市内観光へでかけました。まず行ったのがサンタマリア・デレ・グラッツエ教会でした。

サンタマリア・デレ・グラッツエ教会

そこには最後の晩餐という絵があって入場するのに50mぐらいの行列ができていました。その行列の大半は日本人の観光客でした。30 分ぐらい待って中に入る事ができました。中に入っても外気の進入を防ぐためか何重にもドアで仕切られていました。ようやく目的の最後の晩餐のあるところにはいると絵は修復中で脚立のようなものが前に置いてありました。絵は非常に薄く美術の教科書でみるのとは大きな違いでした。

サンタマリア・デレ・グラッツエ教会をあとにCastel loSforzesco 城を通りDuomo に行きました。Duomo の中で妻がイタリア語講座の成果を発揮して屋上へ行くエレベーターの乗り場を発見したのですが、ツアーのため時間がなく上へ行くことはできませんでした。Duomo をでてエマニエルニ世アーケードを通っでスカラ座の前まで行きました。

エマニエル2世アーケード
ミラノスカラ座


妻は壁に貼ってあるコンサートのプログラムを入念にみていました。何でもポリーニという著名な方が出演するのだとか。私がせかすものだから妻ははゆっくりみれなかったと後でぼやいていました。

昼食はミラノ風リゾットに苦いサラダ、それにカツレツでした。昼食を食べた後、Duomo で解
散となりました。我々はサッカーを見に行くためサンシーロスタジアム(ジュゼッペ・メアッツァ)ヘ向かいました。まずDuomo で地下鉄に乗りました。窓口で切符を買いLinea1 のMolino Dorino 行きの電車に乗りました。電車はかなり込んでいて目的地のLotto の近くではラッシュアワーのようになっていました。地下鉄にはスリが多いとガイドブックには書いてありましたが、それらしき人は見あたらず日本と同じ様でした。

Lotto で下車すると、降りた人はみんなミラニストらしく観戦用の座布団セットを持っている人が多かった。階段を登り地上にでるとそこのはサンシーロ行きと思われるバスが待っていました。ミランの座布団セットを持っている人もそのバスに乗ったので何の疑いもなくそのバスに乗り込みました。道路は結構込んでいてバスはのろのろ運転でした。発車してちょっとしてそのバスがちょっとした接触事故に巻き込まれました。バスの乗客のイタリア人は「#######」とおおはしゃぎでした。結局イタリア人は小さな接触など全く気にしていないようでそのままバスは何事もなかったように発車しました。

10 分程でサンシーロスタジアムに着くとまずチケット売場を探しました。ここでも妻のイタリア語講座の威カが発揮され以外と早く発見することができました。問題はこれからで売場は席別になっていてたくさん窓口がありました。その中からようやっと1゜と書いてある窓口を見つけました。1゜は一階席を意味するらしくそこにはL100000 と書いてあるとともに、小さく¥7500 と書いてありました。そこで10 万リラ(約7500 円)なら変な席でもよいと思いその窓口にいきました。切符を買おうとするとダフ屋さんみたいな人がやってきて2゜と書いてある席を売ろうとするので無視すると窓口の人と何やら話してまた何か言ってきます。どうやら1階席は売り切れだからこれを買えといっているらしい。そこで我々も一応納得して10 万リラでそれを買いました。後でよく考えると2階席ならもっと安かったのではないかと思いましたが、また窓口を見つける手問と、買った席がそんなに変な席でなっかったので納得ができました。なんとか切符を買うことができスタジアムの中に入いりました。自分の席に行くのは大変かと思っていましたが案内板と係員にきくと意外に容易に席を探すことができました。

ジュゼッペ・メアッツァスタジアム

席に着いたのがキックオフ間近だったためか席が空いていないように見えましたが一番通路側の人にこのチケットはここでいいのかと聞くと、ここでよいと言うので人をかき分けていくと、イタリア人は意外にも親切でちゃんと席を空けてくれました。席に着いてまずびっくりしたのはスタジアムの大きさと観客の騒ぎようでした。特に観客の熱狂の仕方は日本とは比べものにならないものがありました。

ゲームが始まると熱狂は更にすごくなり良いプレーをすると大喜びし、ミスでもしようものなら重箱の隅をつつくように大騒ぎをする。Jリーグとの違いは観客の応援の違いだと思いました。Jリーグは応援団の様な感じで歌を歌うにしろ誰かに歌わされている感じがするのに対してイタリアは観客一人一人が自発的に声を出してまさにゲームを楽しんでいる感じがしました。横にいた親子などはミランが先制点を入れると飛び上がるように立ち上がり息子と抱き合っていました。そんな雰囲気であっと言う問に前半も終わり後半に突入しました。30 分ぐらいまでゲームはこう着状態が続いた。イタリア人はかなりせっかちで次第に席を立ち家路につく人が目立つようになりました。あの親子もミランの勝利を確信したように家路につきました。しかし、このゲームのハイライ卜はこれからでミランがバッチョのゴールなどで立て続けに2点を入れた。結局3対0でアタランタをくだしました。今日はミラニストにとって最良のゲームでありました。

ゲームが終わりスダジアムを後にしました。Lotto の駅まで歩いていく事にしました。しかし道がわかるわけでもなくみんなの進む方に歩いていきました。途中には競馬場のようなものもありました。15 分位歩くとLotto の駅に到着しました。そして行きと同じようにDuomo まで地下鉄で戻りました。地下鉄の改札で妻は改札のおじさんに呼び止められました。どうやら自動改札に入れる切符は向きがあるらしく向きが問違っていた様でした。Duomo 広場の売店でホテルに帰ってからの事を考えてミネラルウォーターを買ってからタクシーでホテルまで戻りました。戻ってから水を飲んでみるとそれはガス入りのミネラルウォーターでした。かなり注意して買ったのにこの始末でした。

9月25日(月)ベネチアへ
今日はバスでべローナ、パドヴァを通りべニスヘのバスの移動です。最初のドライブインでの休憩の時、売店でミシュランのヨーロッパ道路地図を売っていたのですが、買おうか買うまいか迷ったあげく買うのをやめてしまいました。しかし、これが命取りで、この後この地図を探すことはできずに後で薄いイタリアだけの地図を買うことになりました。旅行に行った時の教訓は「つぎもあると思うな」です。べローナにはロミオとジュリエットのジュリエットの家がありました。

ジュリエットの家

そこは観光名所らしく、中庭は人でいっぱいでした。ベローナ市内で昼食を食べて、パドヴァを通りベニスに着きました。バスを降り運河ぞいを少し歩くと今日泊まるホテルはすぐそばでした。チェックインを済ませ部屋に行くとちょっと事件がありました。まず部屋の前までいくと自分の荷物でない荷物が置いてありました。そこで生野さんにその旨を告げると、どうやら生野さんが部屋割りを問違えたらしい事がわかりました。間違えたのは性格の悪い親子の部屋とで、結局部屋を交代する事になりました。

新しい部屋は大運河に面して景色は良いが運河を通る船の音で非常にうるさそうでありました。しかし、交代前の部屋は風呂場が酷くかび臭いらしく性格の悪い親子は後で部屋を変わってもらったそうでした。部屋で少し休憩していると運河の方から歌声が聞こえてきました。どうやらべニス名物のゴンドラがやってきた様でした。我々がゴンドラに乗るのは夜7時頃からでした。

ベニスのゴンドラ

ゴンドラ4艇に分乗してその中にー組のアコーディオン弾きとカンツオーネ歌いが乗り込みました。最初大運河を少し漕ぎ、狭い運河に入りました。狭い運河はベニスの雰囲気を非常によくだしていました。しかし、ちょっと不満だったのはカンツオーネ歌いのじいちゃんは少し下手だった事と、運河が予想以上に汚かった事でした。1時間ぐらいでゴンドラが終わり夕食を食べました。夕食にはスバゲッティがでましたがウエイターが量を間違えたため直ぐにつくりなおすというハプニングがありました。後から出てきたスバゲッティは明らかに麺が細く前に出たのとは違うものでした。

9月26日(火)ベネチア散策
今日は早朝から大運河を通る船のエンジン音で起こされてしまいました。我々は寝れないという
ことは無かったですが、他の人は全く寝れなかった人もいたようでした。特に社長夫人風の婆ちゃんはよっぽど気に入らなかったのか、ものすごい勢いで生野さんに文句を言っていました。午前中はベニス市内観光にみんなと出かけました。まずホテルの前から水上バスに乗りサンマルコ広場周辺を観光しました。

ドゥカーレ宮殿

ベネチアングラスの工房にもいきました。しかし、いいなあと思うものは4万円ぐらいしたので買うのをやめました。その後、世界で一番古い喫茶店といわれるカフェ・フローリアンで紅茶・カプチーノ・生ハムのサンドイッチを食べました。値段は全部で29000 リラ(約2000円弱)とイタリアでは高い方でしたが銀座の喫茶店よりは安かった印象です。そのあと教会、鐘楼はその時見なくてもいいと思いましたが、Hotel に帰ってからは、やっばり見ておけば良かったと後悔しました。Hotel には道案内(矢印)をたよりに帰りました。

ため息橋

途中アイスクリームを食べながら5歩進んではとまりウインドショッピングして戻りました。結局何もおみやげは買いませんでした。なんて事でしょう、せっかくべネチアにきたというのに。絵はがき1枚も買えない私たちでした。後で聞いてみるとサンマルコ広場から歩いて帰ってきたのは我々だけだったみたいです。

9月27日(水)フィレンツェへ
今日は朝5時に起きてピサに向かいました。ピサはアフリカから来た黒人の物売りがとても
多かった印象でした。ピサの斜塔は確かに一見の価値はあるものの次も見たいとは思いませんでした。

ピサの斜塔

ここでは、集合時間直前にトイレに行きたくなり、探すのに手間取って集合時間に2分ぐらい遅れてしまいました。ピサを出てバスでフィレンツェに向かいました。バスの中ではみんな眠っていました。フィレンツェでは、まず免税店に行きその後、少し遅い昼食を食べました。メニューはペンネ、肉、アイス、ドルチェでした。ドルチェはとっても甘かったです。食事をしていると美大の学生さんが絵を売りに来ました。いろいろ見せてもらいベッキオ橋の絵を買いました。裏に作者がサインをしてくれました。これがおみやげといえる唯一のものとなりました。食後はDuomo を見学しました(上までは階段があったが上らなかった)。その後ウフィッチ美術館に行きました。中にはいるのに1時間ぐらい待ちました。美術館の中も駆け足になり40 分ぐらいで見てまわりました。べッキオ橋は美術館の中から窓越しに見ました。夕日がとってもきれいでした。その後また免税店へ行ってようやっとホテルヘ、ホテルでは部屋に入るまえに食事をとりました。メニューはミネストローネ、昼と同じ肉、アイスでした。部屋はシャワーカーテンが無かったがトリプルの部屋でした。比較的街中のホテルだったのでここに一泊ではもったいないなと思いました。

9月28日(木)いざローマへ
今日も朝5時に起きてバスでローマに向かいました。途中アッシジに立ち寄りながら昼過ぎにはロ
ーマに到着しました。昼食はまた同じ様なメニューでした。食後にトレビの泉に行きました。ここはもっともスリの多いところと言っていました。泉の回りは観光客でいっぱいでした。コインを後ろ向きに投げるともう一度ローマに来られるというので二人でコインを投げ入れました。トレビの泉の回りには警官が常駐していたので、スリもいないかなと思っていましたが、日本人で高そうな服装をしている二人組がスリにあったらしく騒いでいました。

トレビの泉

次にコロッセオを見物しましたがコロッセオの中で二階に行く階段がなかなか見つかりませんでした。帰る間際にようやっと見つかりましたが入場料を取られるため登るのをやめました。コロッセオを後にバチカン宮殿へ行きました。大聖堂の中に入るときに護衛に呼び止められた。Leave the baggage と叫んでいるようでした。どうやら持っていたDebug を預けろと言っているらしい。そこでガイドに預けて中に入りました。中はさすがに世界最大の大聖堂だけあってすばらしかった。ちょうどミサの様なものが始まるらしく警備が厳しかったみたいでした。バチカンを後に今度はローマ三越にいきました。そこでようやっとおみやげの一部を買うことができました。その後ホテルに帰りましたが、夕食はまた同じ様なメニューでした。いいかげんに腹立たしくなってきました。ホテルは大きな道路に面していたため、車の音がうるさかった。でも我々は、いつも慣れているせいか眠れないほどではありませんでした。

コロッセオ

9月29日(金)
今日は終日自由行動でした。夕食だけはみんなで食べる事にしました。(その場所は添乗員が選んだ店でしたが、VISAカードの案内に載っていた店で、みんなと一緒でなくてもそこに行こうと思っていた店でした。)朝、まず地下鉄を乗り継いでバチカン美術館へ行きました。美術館の中はかなり広くお目当てのシスティーナ礼拝堂へ行くのに、かなりの時間を要しました。妻のお気に入りはエジプトの間でミイラが展示されていました。もう一つのお目当てのラファエッロの間は見つからなかったのですが、後から聞くと知らないうちに通りすぎたらしいことがわかりました。この美術館の中で妻は昔の楽譜の絵が気に入り順路を逆行してまで買おうとしましたがイタリアリラの持ち合わせが無く、クレジットカードは駄目だと言われ、結局買うことができませんでした。

ピーニャの中庭



美術館を後に再び地下鉄に乗りスペイン階段に行きました。駅を出ると黒人の物売りがたくさんいました。その物売りは取り締まりが来たのか、ものすごい早さで荷物をかたづけて逃げていきました。スペイン広場は改装中で外から覗くことしかできませんでした。

その後、グッチなどのブランド店が立ち並ぶコンドッティ通りに行きましたが、とても店の中に入れる雰囲気ではなく通り過ぎただけでした。今度は銀座で練習を積んでから来る必要があると思いました。結局庶民的な店が多いと言われるナツィオナーレ通りに行くことにしました。

そこで再び地下鉄に乗ろうと自動販売機で切符を買おうとしたのですがやり方が良くわからなかった。そこでうろうろしていると他のアメリカ人のような外人も買い方がわからなく同じようにうろうろしていて結局外の売店に切符を買いに行った様でした。我々は結局買うのに20分ぐらいかかったものの何とか買うことができました。
迷った理由は、案内では釣り銭が出るはずなのに実際は出ないため何回やっても駄目だった様ででした。ナツィオナーレ通りでもやっばり何も買えなくて結局おみやげは全て三越で買いました。

おみやげを買ってからレストランでピザを食べました。イタリアなのでおいしい味を想像したけれど日本の方がよっぼどおいしく感じました。夕食まで時間があったので一度ホテルヘ戻って休憩してから再び集合場所の三越に行きました。そこで何と新婚旅行中の友人に偶然会いました。何と世界は狭いのだろうと思いました。6時半に集合してみんなでリストランテ・カプリエレ・トモコに行った。そこは日本人の経営でそこそこの味でした。ローマは変なところでパイオリン弾きや花売りがやってきてはチップをねだっていました。帰りの地下鉄の中にも笛吹き童子がいてあきれた街でありました。明日は帰国なので荷物整理をしスケジュールを確認して眠りにつきました。

9月30日(土)
今日はローマからパリを経由してエールフランスで帰国というスケジュールでした。前々から気になっていたのはパリでの乗り継ぎ時間が1時間しかない事でした。昨日はもしもの場合に備えて月曜を有休にするための連絡手法を確認したほどでした。ローマで免税手続きをしようとしましたが(本当はパリでないとできない)スーツケースに免税品を入れた人だけ手続きができたので、我々は駄目でした。これは単に係員の気分によるもので、税関が良いと言えばOKになるらしいです。予定通り?ローマを飛び立つのがなぜか遅れてパリに着いたのは予定より30分以上遅れました。トランジットの手続きも係員がもたもたしていて遅く、それでいて席もバラバラだった。これには生野さんもかなり怒っていたようだった。さらに搭乗時問に遅れているにも関わらず、搭乗時にパスポートを見せろと言われ更にムッとしました。そんなわけでバリでの免税手続きは全くできませんでした。飛行機に乗り込むと今度はバラバラの席を何とか一緒にしようと交渉を始めました。我々は生野さんのおかげで無事に隣同士になることができました。そんなわけで帰りはドタバタしましたが約12時間後の朝9時頃無事に成田空港に着饒する事ができました。(帰りの飛行機は結構播れました)そして、全日空ホテルでBMWに乗り換えて渋滞も
なく自宅に到着しました。帰りはちょっと眠いけど成田に行くのは車がやっばり楽でした。